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田中親美模作本 その2-2  
元永本古今和歌集の模作本です。元永本古今和歌集については、飯島春敬先生の解説と小松茂美先生の解説とで解釈に若干の差異が御座いますので、料紙制作の立場上加工につきましては、親美先生を含めた三者の解説を基に総合的な判断を行い独自の解釈を行っております。特に色の表現につきましては、現在の見た目と異なり臨書用紙ではやや新作感の残るものとなっております。以下に一部を掲載しておきますので参考にして下さい。

元々の料紙は表・具引唐紙、裏・装飾料紙(染金銀切箔砂子)で、白・紫・黄(黄茶系)・赤(赤茶系)・緑で15種類の唐紙模様が使われています。
1折には同柄5枚(小口10枚、項にして20項分)の唐紙料紙が使用されております。(但し上巻第10折のみ2柄使用)第1折実際の並び順へ

項=ページのことです。(解説中の項数は、それぞれの第○○折中での項数になります。)

元永古今集 上巻 第9折 具引唐紙(白雲母摺) 『菱唐草』 拡大へ 元永古今集 上巻 第8折 紫ぼかし 金銀大小切箔ノゲ砂子 拡大へ
元永古今集 上巻 第8折 紫ぼかし 金銀大小切箔ノゲ砂子 拡大へ 元永古今集 上巻 第4折 具引唐紙(白雲母摺) 『花襷紋』 拡大へ
元永古今集 上巻 第7折 空摺唐紙 『大波紋』 拡大へ 元永古今集 上巻 第7折 空摺唐紙 『大波紋』 拡大へ
元永古今集 上巻 第4折 空摺唐紙 『芥子唐草』 拡大へ 元永古今集 上巻 第3折 金銀大小切箔ノゲ砂子 拡大へ
元永古今集 上巻 第3折 金銀大小切箔砂子 拡大へ 元永古今集 上巻 第3折 空摺唐紙 『芥子唐草』 拡大へ
元永古今集 上巻 第3折 空摺唐紙 『芥子唐草』 拡大へ 元永古今集 上巻 第1折 具引唐紙(具引空摺) 『二重唐草』 拡大へ
 上巻第9折 上巻第8折
 菱唐草 金銀切箔砂子
上巻 第8折
裏面 切箔砂子 花襷紋
上巻第7折  上巻第7折
 大波紋   大波紋
上巻第4折  上巻第3折
 芥子唐草  大小切箔
 上巻 第3折   表面
裏面(大小切箔)芥子唐草
上巻 第3折 上巻 第1折
 芥子唐草  二重唐草
元永古今集 上巻 第19折 染・薄黄茶(中) 『丸獅子唐草』 拡大へ 元永古今集 上巻 第19折 染・薄茶(濃) 『金銀大小切箔振』(丸獅子唐草裏面) 拡大へ
元永古今集 上巻 第18折 具引唐紙(白雲母) 『丸唐草』 拡大へ 元永古今集 上巻 第16折 具引唐紙(白雲母摺) 『菱唐草』 拡大へ
元永古今集 上巻 第16折 具引唐紙(白雲母摺) 『菱唐草』 拡大へ 元永古今 上巻 第13折 花唐草 拡大へ
元永古今 上巻 第12折 唐子唐草 拡大へ 元永古今集 上巻 第12折 茶具引 金銀大小切箔ノゲ砂子 拡大へ
元永古今集 上巻 第11折 具引・白色(白雲母摺) 『丸唐草』 拡大へ 元永古今集 上巻 第11折 具引唐紙(黄雲母摺) 『丸唐草』 拡大へ
元永古今集 上巻 第10折 白具引 金銀大小切箔砂子 拡大へ 元永古今集 上巻 第10折 具引唐紙(白雲母摺) 『小唐草』 拡大へ
 上巻第19折  裏面
丸獅子唐草 金銀切箔
  上巻第18折 第16折
 丸唐草    菱唐草
 上巻第16折 第13折
  菱唐草   花唐草
 上巻第12折  第12折
唐子唐草 金銀大小切箔
 上巻第11折 
 丸唐草7項 丸唐草6項
  上巻第10折 第10折
金銀大小切箔 小唐草
元永古今集 下巻 第20折 具引唐紙(具引空摺) 『花唐草裏面』 金銀小切箔 拡大  (戻る 一覧へ) 元永古今集 下巻 第7折 具引唐紙(白雲母摺) 『丸獅子唐草』 拡大へ
元永古今集 下巻 第18折 小唐草 拡大へ 元永古今集 下巻 第18折 小唐草 拡大へ
元永古今集 下巻 第7折 具引唐紙(白雲母摺) 『丸獅子唐草』 拡大へ 元永古今集 下巻 第7折 具引唐紙 『丸獅子唐草裏面』 銀小切箔砂子 拡大へ
元永古今集 下巻 第6折 巻第十四 恋歌四 『獅子唐草』 拡大へ 元永古今集 下巻 第6折 巻第十四 恋歌四 『獅子唐草』 拡大へ
元永古今集 下巻 第3折 具引唐紙 『花襷紋裏面』 金銀小切箔 拡大へ 元永古今集 下巻 第2折 具引唐紙(具引空摺) 『芥子唐草裏面』 拡大へ
元永古今集 下巻 第1折 具引唐紙(具引空摺) 『花唐草』 拡大へ 元永古今集 下巻 第5折 具引唐紙(白雲母摺) 『孔雀唐草』 拡大へ
 下巻第20折 第7折
金銀切箔 丸獅子唐草
 下巻 第18折
     小唐草
 下巻 第7折
丸獅子唐草 金銀切箔
 下巻 第6折
  3項 獅子唐草 2項
 下巻第3折   第2折
  金銀小切箔砂子
 下巻第1折
 花唐草
 

古今和歌集巻第一 序 上巻 第3折 (第一紙表面右項)
元永古今集 上巻 第4折 緑(濃) 具引唐紙(空摺唐紙) 『芥子唐草』 拡大  (戻る 一覧へ)    芥子唐草表面(緑色具引)
僅かなの茶味は素紙の経年変化による褐変
(柄の部分)



上巻
第3折(濃・中・淡・白1・白2の内濃 右項)
第3折中の2項目
右項=臨書用紙の右側半分。



解説及び使用字母へ
茶字は前項にあり








芥子唐草表面・空摺唐紙(具引空摺)

上巻第3折第一紙清書用臨書用紙

元永古今集 具引 緑(濃色) 具引空摺 『芥子唐草』 拡大へ 
この部分の料紙へ

 上巻第3折 第2項 第一紙 緑色具引 空摺唐紙表面 『芥子唐草』
古今和歌集 序 
上巻通しで第十一紙、欠損部分を含む42項目(現存の38項)
              かな
              使用字母        解釈(現代語訳)へ

 

  かの御よや、歌


  のこころをしろしめしたりけ

  む。かのおほむ時におほき

  みつのくらゐ、柿本の人丸

  なむ歌のひじりなりける。

  これはきみも人も、みをあは

  せたるといへるなるべし。秋の



  

  可能御也、哥


  能己々呂遠之呂之女之太利計

  無 閑乃於保無時爾於保支

  美々川能久良為、柿本乃人丸

  奈無哥能比之利奈利計留

  己礼者幾美毛人毛美遠阿波

  勢多留止以部留奈留部之 秋乃



             現代語訳
 

             解釈          解説及び使用字母へ
 

  あの御代こそが歌の

  心をお知りになられていらっしゃったのであろう。

  あの御時に偉大な

  三位、柿本人麻呂

  こそが歌聖であられた。

  これは天皇も臣下も一体となって

  いるという事であろう。秋の



知ろし召す;サ行四段活用の他動詞、「知らし召す」の転。「知る」の尊敬語で「知り給う」よりも尊敬の程度が高い。

おほむとき
御時;治世の敬称。御代。

おほきみつのくらい
大三位;正三位。「大」は同じ位階や官職の内、上位に対して云う。
(「おほきふたつのくらい」は正二位)

なむ;まさにそれであると強調する意を表す係助詞。結びは連体形。

歌聖;和歌に最も優れた人。
  
身を合わす;一致する。一体となる。

 
かきのもとのひとまる                                  てんむ  じとう  もんむ
柿本人丸;奈良時代に活躍した万葉歌人で、三十六歌仙の一人。天武・持統・文武天皇の三代に仕え、六位以下の舎人として石見の国の役人となり、讃岐の国などへも往復したが遂には石見の国で亡くなったと思われている。序詞・枕詞・押韻なっどを効果的に用いて想いを込めた詞豊かに、荘重で沈痛且つ格調高い作風の長歌が多く、抒情歌人として名高い。後の世に、山部赤人と共に歌聖と称された。柿本人麻呂とも書き、日並皇子・高市皇子の舎人ともいう。万葉集に長歌16首、短歌63首が見え、人丸集に302首が残されている。生没年不詳。

ひなみしのみこ                                                                  げんしょうてんのう  
日並皇子;天武天皇の皇子で母は持統天皇。草壁皇子とも呼ばれ、早死の為自身は皇位に就けなかったが文武天皇・元正天皇の父。柿本人丸の皇子を哀悼する挽歌は有名。生年662年〜没年689年。

たけちのみこ   
高市皇子;天武天皇の長男で、壬申の乱の時に天武の軍を率いて活躍した。日並皇子の死後、690年に太政大臣となり持統天皇を助けて政治を行った。万葉集に歌3首が残っている。生年654年〜没年696年。



                                                                       ページトップ アイコン 

古今和歌集巻第一 序 上巻 第3折 (第二紙表面左項)
元永古今集 上巻 第3折 薄茶(中) 具引唐紙(空摺唐紙) 『芥子唐草』 拡大  (戻る 一覧へ)    大波紋表面(赤茶色具引)
下地の赤茶色は染紙の経年変化による褐変含む(柄の部分)



上巻
第7折(濃・中・淡・白1・白2の内濃 左項)
第7折中の19項目
左項=臨書用紙の左側半分。


解説及び使用字母へ









芥子唐草表面・空摺唐紙(具引空摺)

上巻第3折第二紙清書用臨書用紙

元永古今集 赤茶(濃) 具引空摺 『大波紋』 拡大へ
この部分の料紙へ
 上巻第3折 第3項 第二紙 薄茶色具引 空摺唐紙表面 『芥子唐草』
古今和歌集巻第一 序
上巻通しで第十二紙、欠損部分を含む43項目(現存の39項)
              かな
              使用字母        解釈(現代語訳)へ

  ゆふべたつたがはにながるる

  もみぢは、みかどの御めにに

  しきとみえ、はるのあした

  よしのやまのさくらは、人丸

  がこころにくもとぞおぼへけ

  る。また山部赤人と云ひとあり

  けり。歌にあやしうたへなりけり    


  遊不部太川多可波爾奈可留々

  毛美知者、見可止乃御女爾々

  之幾止美衣、者留乃悪之太

  與之乃也末乃左久良者、人丸

  可己々呂爾久毛止所於保部計

  留 末多山部赤人止云比止阿利

  个利 哥爾安也之宇多部奈利計利

             現代語訳               解釈          解説及び使用字母へ 

  (秋の)夕暮れ時の竜田川に流れている

  紅葉は天皇の御目には

  錦とお映りになり、春の朝

  吉野山の桜は人丸の

  心には霞雲のようだと感じられている。

  又、山部赤人という人がいた。

  歌は不思議なくらいに霊妙である。




秋の夕暮れの竜田の川面を流れている紅葉は平城天皇の目には色とりどりの錦織の様にお見えになり、春の朝の吉野山の桜の花は人丸の目にはまるで山中に浮かぶ霞雲の様に見えている。
又、山部赤人という人がいて、その和歌の出来は不思議なくらいで私には計り知れない程優れている。


あや
怪し;神秘的だ。不思議だ。自分には理解しにくく異様なものに対して不審に思う感じから来た言葉。
たへ 
妙;神々しい程に優れている。霊妙である。
 
やまべのあかひと
山部赤人;奈良時代初期の万葉歌人で、三十六歌仙の一人。下級官吏として聖武天皇に仕えていたようで、行幸供奉の際の作が多く、優美で清澄な自然を詠んだ叙景歌に優れ代表的な自然詩人である。柿本人麻呂と並んで歌聖といわれ、人丸を継承する宮廷歌人として活動していたらしい。万葉集に長歌13首、短歌38首がある。

きのつらゆき
紀貫之;平安時代前期の歌人で歌学者でもあり、三十六歌仙の一人でもある。歌風は理知的で修辞技巧を駆使した、繊細優美な古今調を代表している。醍醐・朱雀両天皇に仕え、御書所預から土佐守を経て従四位下木工権頭に至る。紀友則らと共に古今和歌集を撰進する。家集に「貫之集」の他、「古今和歌集仮名序」、「大堰川行幸和歌序」、「土佐日記」、「新撰和歌(撰)」などがある。生年868年〜没年945年頃

ゆふ                                             よひ    よなか   あかつき  あけぼの  あした
夕べ;日没の頃。夕方。日暮れ時。「夕べ」は夜の時間の始まりで、「夕べ」⇒「宵」⇒「夜中」⇒「暁」⇒「曙」⇒「朝」と続き表現の違いで時の流れを表していた。「宵」は辺りが暗くなり闇に包まれ出したころ。「暁」は夜明け前のまだ薄暗い頃。「曙」は夜明けの空がほのぼのと明るんできた頃。「朝」は夜の時間の終わったことを表し、辺りが明るくなって暫くの間。となり多くの歌に詠み込まれている。


                                                                       ページトップ アイコン 

古今和歌集巻第一 春歌上 上巻 第4折 (第三紙表面左項)
元永古今集 上巻 第4折 極薄紫(淡) 具引唐紙(空摺唐紙) 『芥子唐草』 拡大  (戻る 一覧へ)    芥子唐草表面(極薄紫色具引)
下地の薄紫色は染紙の経年変化による褐変含む(柄の部分)



上巻
第4折(濃・中・淡・白1・白2の内淡 左項)
第4折中の15項目
左項=臨書用紙の左側半分。



解説及び使用字母へ









丸芥子唐草表面・空摺唐紙(具引空摺)

上巻第4折第三紙清書用臨書用紙

元永古今集 極薄紫(淡) 具引空摺 『芥子唐草』 拡大へ
この部分の料紙へ
 上巻第4折 第15項 第三紙 極薄紫色淡色具引 空摺唐紙表面 『芥子唐草』
古今和歌集巻第一 春歌上
上巻通しで第三十一紙、欠損部分を含む75項目(現存の71項)
              かな
              使用字母        解釈(現代語訳)へ

  題しらず       読人しらず

3

 はるがすみ たたるやいづこ みよ
     
よしののやま
 しのの、吉野山に ゆきはふり

 つつ


  はるのはじめに
             
にじょうのきさいのみやのおほみうた
             二条后宮御歌



  不知題         読人不知

3
 者留可数三 太々留也以川己 見與

 之乃々、吉野山爾 由支者不利

 徒々


  者留乃波之女耳

                二条后宮御哥


             現代語訳               解釈          解説及び使用字母へ 

 お題不明
                        詠み人不明
3
「春霞立たるや何処み吉野の、吉野の山に雪は降りつつ」
春霞は何処かに立っているのだろうか、吉野の里の吉野山では雪が降り続いているよ。


 春の初めに
                   
二条后宮のお作りになられた歌





3
(春霞は何処かに立っているのだろうか、霞が立てばやがて花も咲くのだろうに、吉野の里の吉野山ではまだまだ雪が降り続いていることよ。)との意で待ち遠しい春(桜の開花)を恨めしく詠んだ歌。

…つつ;…し続ける。ずっと…する。動作が継続、又は進行中である意を表す接続助詞。

春上第3首目に在り、歌中に雪が織り込まれている事から早春の歌と解され、待ち遠しいのは梅か桜かと分れるが、吉野を殊更に強調している事からここでは桜を待つ心と解した。
尚、詠み人不知は有力者が名を伏せて歌詠したものもある為、我が世の春はまだ遠いと詠んだとも考えられる。

 
はるがすみ
春霞;春に立つ霞。平安の頃には春に立つのを霞、秋に立つのを霧として区別した。又、遠くに棚引くのを霞、近くで立ち上がるのを霧としても区別していた。
平安の人々は春霞が立つことによって気温が和らいでいたことを感じ取り、詩歌にもよく読んでいたいた。

み吉野;今の奈良県南部、吉野川流域の吉野郡一帯の美称。平安初期から修験道の根拠地でもあり、古来より桜の名所で大覚寺統系の後醍醐天皇を初めとする南朝の史跡も多く点在する。「み」は接頭語で美称、又は語調を整えるために用いる。
加えてこの地は壬申の乱前の半年間、大海人皇子(天武天皇)が隠棲し、679年には皇后(後の持統天皇)と6皇子を伴って吉野宮を訪れている。持統天皇は在位中に31回も吉野宮に行幸し、その後も文武・元正・聖武天皇が行幸しており、「懐風藻」「万葉集」にはこの時に供奉して詠まれた詩歌が多数収められている。

吉野山;歌枕。奈良県吉野郡吉野町にある山で、修験道の霊場。上・中・下更に奥と凡そ四か所に密集する山桜の名所で、一目千本とも云われ壮観であり、南朝の史跡も多い。遠くから仰ぎ見る吉野山の桜の光景は、柿本人麻呂には風流にも山中に浮く霞雲(花霞)に見えていたことで有名。

にじょうのきさいのみや                 つまぎさき                       ようぜいてんのう
二条后宮;平安時代前期、清和天皇の妻后。藤原長良の娘、高子で、その子である陽成天皇が即位した際の摂政となった藤原基経は兄にあたるが、後に子と兄が対立するようになり、子は廃位に追い込まれる。退位の際に二条院(陽成院)に移り、この時に三種の神器を持ち出したとの噂話が残っている。生年842年〜没年910年。



                                                                       ページトップ アイコン 

古今和歌集巻第二 春歌下 上巻 第7折 (第四紙表面左項)
元永古今集 上巻 第7折 白 具引唐紙(空摺唐紙) 『大波紋』 拡大  (戻る 一覧へ)    大波紋表面(白色具引)
下地の茶色は素紙の経年変化による褐変
(柄の部分)



上巻
第7折(濃・中・淡・白1・白2の内白1 左項)
第7折中の7項目
左項=臨書用紙の左側半分。



解説及び使用字母へ
茶字は前項にあり








大波紋表面・空摺唐紙(具引空摺)

上巻第7折第四紙清書用臨書用紙

元永古今集 白具引 具引空摺 『大波紋』 拡大へ 
この部分の料紙へ

 上巻第7折 第7項 第四紙 白色具引空摺唐紙表面 『大波紋』
古今和歌集巻第二 春歌下
上巻通しで第三十四紙、欠損部分を含む127項目(現存の123項)
              かな
              使用字母        解釈(現代語訳)へ

  
雲林院親王のもとに花みに北山
  の辺に罷りけるによめる   素性法師

96

 いざけふは はるの山べに まどひなむ、くれ

 なばなげの 花のかげかは


  春の歌とて読る
              素性
97
 いつまでか のべにこころの あくがれむ

 はなしちらずは 千世もへぬべし


  題しらず        読人しらず
98
 はるごとに 花のさかりは ありなめど、あひみむ

 ことは いのちのみなり

                       
  雲林院親王乃毛止仁花美爾北山爾
  能邊爾罷希留爾與女留   素性法師
96
 以左計不者 々留乃山部爾 末止比南、九禮

 奈八奈計乃 花能加个可者


  春乃哥止天読留
                  素性
97
 伊川末弖可 能部爾己々呂乃 安久可礼无

 者那之千良須者 千世毛部奴部之


  題之良数        読人之良春
98
 者留己止爾 花乃左可利波 安利那女止,安比美武
    

 己止乃 意能知乃三奈里


             現代語訳
 

             解釈          解説及び使用字母へ
 

 雲林院親王の処に花見に北山の辺りへお伺いした折に詠んだ歌
                        素性法師
96
「いざ今日は春の山辺に惑ひなむ、暮れなば無げの花の影かは」
さて今日は春の山辺で狼狽えておりますよ、日が暮れたなら見えなさそうな花見であろうか。否そんな事は無いでしょう。


  春の歌として詠んだ歌
                        素性法師

97

「何時迄か野辺に心の憧れむ、話し散らずは千代も経ぬべし」
何時までだろうか野原に心が惹かれているよ、噂が世間に広まらないのは千年も経っていないからであろう。


  お題不明                詠者不明
98
「春毎に花の盛りは有りなめど、相見む事は命のみなり」
春毎に桜の見頃は訪れるだろうけれど、男女が契りを結ぶことは命ある限りでの事ですよ。


「爾」の横に見消の「、」があり「北山」の後の「に」は書き間違い。

辺;辺り。仮初な様。

96
(さあどうでしょうか、今日は春の山辺で心穏やかでは有りませんよ。若し日暮れになってしまえば見る事の難しい桜となってしまうのでしょうか。いいえきっと見れると思いますよ。)との意。

無げ;なさそうな様。仮初な様。

97
(何時まで続くのだろうか、どうしようもなく野原に心が惹かれているよ、こんな私の評判が世間に広まらないのはまだ千年も経っていないからであろう。)と、私を評するのは後の世の人々でしょうねとの意。
あくが
憧れむ;心が惹かれて落着かないのだろう。動詞「憧る」の未然形「憧れ」に推量の助動詞「む」の連体形。

98
(桜の花盛りは毎年春になればやって来ますが、男女が契りを結べるのは短い寿命の間だけのことですよ。)との意。

有りなめど;きっとあるだろうけど。完了の助動詞「ぬ」の未然形「な」に推量の助動詞「む」の已然形「め」、更に逆説の意を表す接続助詞「ど」が付いたもの。強い推量を示し、経験に基づきある事態が有っても後に続く事態がそれに反する関係であるのを示す。

 
うりんいん                                                むらさきの
雲林院;平安時代に貴族から賤民までの信仰を集めて栄えた天台宗の寺。京都市北区柴野にあった、もと淳和天皇の離宮を869年に寺としたもので、884年に遍照が奏して元慶寺別院とした。5月に行われた菩提を求める為に法華経を講義して説いた菩提講は名高いが、後に荒廃して観音堂だけが残っている。歌枕。雲林院親王は仁明天皇の皇子常康親王のことか。

がんぎょうじ       やましな                    ようぜいてんのう          へんぜう                  あんねん ごだいいんのだいとこ
元慶寺;京都市山科区にあった真言宗の寺。868年に陽成天皇が誕生した際に遍照が創建したもので、9世紀の僧の安然(五大院大徳)の頃には大いに栄えた。藤原道兼の謀略により、986年花山天皇はここに潜幸して出家する事となった場所で、花山寺とも云う。現在は「がんけいじ」と云い天台宗の寺。

そせいほうし   へんじょう        よしみねのはるとし                                 よしよりのあそん
素性法師;遍照の子、俗名は良峯玄利と云い、出家して雲林院に住み歌僧となる。またの名を良因朝臣とも云う。三十六歌仙の一人で、剃髪前は清和天皇に仕えていた。歌風は軽妙で力強いものがある。家集に素性集が有る。生没年不詳。



                                                                       ページトップ アイコン 

古今和歌集巻第二 春歌下 上巻 第7折 (第一紙表面左項)
元永古今集 上巻 第7折 赤茶(濃) 具引唐紙(空摺唐紙) 『大波紋』 拡大  (戻る 一覧へ)    大波紋表面(赤茶色具引)
下地の赤茶色は染紙の経年変化による褐変含む(柄の部分)



上巻
第7折(濃・中・淡・白1・白2の内濃 左項)
第7折中の19項目
左項=臨書用紙の左側半分。


解説及び使用字母へ









大波紋表面・空摺唐紙(具引空摺)

上巻第7折第一紙清書用臨書用紙

元永古今集 赤茶(濃) 具引空摺 『大波紋』 拡大へ
この部分の料紙へ
 上巻第7折 第19項 第一紙 白色具引空摺唐紙表面 『大波紋』
古今和歌集巻第二 春歌下
上巻通しで第三十一紙、欠損部分を含む139項目(現存の135項)
              かな
              使用字母        解釈(現代語訳)へ

  やよひに鶯のこゑのひさしうせざ

  りければ       つらゆき

130

 なきとむる はなしなければ うぐひす

 も、いまはものうく なりぬべらなり


  やよひのつごもりがたに、やまを

  こえけるにやまがはに花のな

  がれけるに      ふかやぶ

131
 はなのちる みずのまにまに とめくれば

 山には春も なくなりにけり


  也與比二鶯乃己恵能日左之宇世左

  利个礼者         川良由幾

130
 奈支止无留 波奈之那个礼者 宇久比春

 毛、以末波毛乃宇久 那里奴部良奈利


  也與比乃川己毛利可太爾、也末遠

  己江个留爾也末可波爾花乃奈

  可礼个留爾      不可也不

131
 者那乃知留 三川能末仁〜 止女久礼者

 山爾波春毛 奈久那里二个利


             現代語訳
 

             解釈          解説及び使用字母へ
 

 陰暦の三月に鶯の鳴く声が長い間していなかった
 ので
                        紀貫之
130
「鳴き留むる花し無ければ鶯も、今は物憂く成りぬべらなり」
囀る為にその場に留まる花さへ無ければ鶯も、今は何となく気が進まない具合になってしまったに違いないのだろう。

 陰暦三月の月末頃に山を越えていた時に
 山川に花の流れていたのを見て詠んだ歌
                        清原深養父

131

「花の散る水のまにまに尋め来れば、山には春も無くなりにけり」
花が散り落ちて浮かんでいるようだ、川の流れのままに尋ね求めて来たが山にはもう春は無くなっていたことよ。




やよひ
弥生;陰暦三月。今の四月ごろ。

130
(囀る為にそこに留まる花さへ咲いていなければ鶯だって、その場所では何となく囀る気分じゃなくなってしまったに違いないのだろう。)との意。

べらなり;…らしい。…に違いない。


131
(花が散り落ちて浮かんでいるようだ、川の流れに沿って春を尋ね求めて来たけれど、既に花は跡形もなく散っていて山にはもう春は無くなっていたことよ。)との意。

まにま
随に;…のままに。事の成り行きに任せる様。
 と                          
尋め来;尋ね求めて来る。動詞「尋む」と動詞「来」の結合したカ行変格活用の自動詞。
 
はな
花;特に何もなければ植物の花一般。歌130では特に梅の花、歌131では特に桜の花のことを指す。

きのつらゆき
紀貫之;平安時代前期の歌人で歌学者でもあり、三十六歌仙の一人でもある。歌風は理知的で修辞技巧を駆使した、繊細優美な古今調を代表している。醍醐・朱雀両天皇に仕え、御書所預から土佐守を経て従四位下木工権頭に至る。紀友則らと共に古今和歌集を撰進する。家集に「貫之集」の他、「古今和歌集仮名序」、「大堰川行幸和歌序」、「土佐日記」、「新撰和歌(撰)」などがある。生年868年〜没年945年頃

きよはらのふかやぶ
清原深養父;平安中期の歌人で、中古三十六歌仙の一人。清原房則の子で、清原元輔の祖父に当たり、清少納言の曾祖父でもある。官位は内蔵大允、従五位下。家集に深養父集がある。生没年未詳。


                                                                       ページトップ アイコン 

古今和歌集巻第十四 恋歌四 下巻 第6折 (第一紙表面右項)
元永古今集 下巻 第6折 具引唐紙(黄雲母摺) 『獅子唐草』 拡大  (戻る 一覧へ)    獅子唐草表面(薄赤茶色具引)
下地の薄赤茶色は染紙の経年変化による褐変含む(地の部分、写真は本来の色味が出ておりません)


下巻
第6折(濃・中・淡・白1・白2の内濃 右項)
第6折中の2項目



解説及び使用字母へ









獅子唐草表面(繋丸紋獅子唐草)

左の写真は臨書用紙の右側半分に当たります
元永古今集 薄赤茶(濃) 具引唐紙 『獅子唐草』 拡大へ
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 下巻第6折 第2項 第一紙 薄赤茶色(濃)具引唐紙表面 『獅子唐草』
古今和歌集巻第十四 恋歌四
下巻通しで第二十六紙、102項目
              かな
              使用字母        解釈(現代語訳)へ

  ふぢはらの敏行朝臣業平の

  朝臣家なりけるをむなを

  あひしりてふみつかはせり

  けることばに、いままうでく

  あめのふるをなむみわづら

  ひはべるといへりけるをききて、か

  
のをむなにかはりて

             業平朝臣



  不知者良乃敏行朝臣業平乃

  朝臣家奈利个留遠無奈乎

  安悲之里天不美川可八世利

  个留己止波爾、以末々宇天久

  安女乃不留遠奈無美和川良

  比者部留止以部利个留遠幾々天可

  
乃遠無奈爾可波里天

                業平朝臣



             現代語訳
 
             解釈          解説及び使用字母へ 

 藤原敏行殿が、以前在原業平の

 家にいらした娘と

 互いにお知り合いになられて、手紙の遣り取り

 なされた言葉に、今参上いたします。

 雨の降るばかりであるのを見てどうしたものかと

 嘆いていると聞いて、例の

 娘に代わって詠んだ歌

                   
在原業平朝臣



藤原敏行殿が、以前在原業平の家にお仕えしていらした娘とお互いに知り合いになられて、手紙の遣り取りなされた言葉の中に、今から参上いたします。とあるのを見るが、雨の降るばかりであるのを見てどうしたものかと困り果てていると聞いて、例の娘に代わって詠んだ歌

なりける;以前其処に住んでいたと回想する意を表す。指定の助動詞「なり」に回想・詠嘆の助動詞「けり」の連体形「ける」の付いたもの


まう
  
参で来;参上する。伺う。「来」の謙譲語。平安時代以降は丁寧語としても使用し始める

みわづら
見煩ふ;見てどうしてよいのか困る。。

あそん
朝臣;五位以上の人の姓名に付ける敬称。三位以上の人には既に名が知れているので性の下に付けて名は記さず、四位には姓名の下に付ける。五位の者には姓と名との間にこれを記した。


 
あひし
相知る;互いに知る。交際する。男女が情を交わす。

ふぢはらのとしゆき
藤原敏行;平安初期の歌人で、三十六歌仙の一人。三十人撰にも登場するが知られている歌は全て合わせても28首と少ない。詳細は不詳であるが、古今集中には敏行朝臣と出ていることから、おそらく四位であったろうと推察される。生没年不詳。

ありはらのなりひら
                                
へいぜい    ちゃくなん         あぼしんのう            ざいごちゅうじょう
在原業平;平安初期の歌人で、六歌仙、三十六歌仙の一人。平城天皇の嫡男であったはずの阿保親王の第五皇子で、在五中将とも呼ばれた。兄の行平と共に826年に在原性を賜った。伊勢物語の主人公と混同され、伝説化されて容姿端麗、情熱的な和歌の名手で、二条后との密通や伊勢斎宮との密通などより、色好みの典型的な美男子とされ、能楽や歌舞伎或は浄瑠璃などの題材ともなった。紀有常の娘を妻とし、官位は蔵人頭、従四位に至る。紀貫之も古今和歌集序の中に「その心余りて言葉足らず」と評するなど情熱的歌人で有ったことを物語る。生年825年〜没年880年。

710
「数々に思い思わず訪い難み、身を知る雨は降りぞ勝らむ」
色々な事が思い廻った儘で意外にも訪ねて行き辛かったのです。私自身を知るこの涙雨は益々溢れ出るばかりですよ。


                                                                       ページトップ アイコン 

古今和歌集巻第十四 恋歌四 下巻 第6折 (第二紙表面左項)
 元永古今集 下巻 第6折 具引唐紙(黄雲母) 『獅子唐草』 拡大  (戻る 一覧へ)   獅子唐草表面(薄赤色具引)
下地の薄赤茶色は染紙の経年変化による褐変含む(地の部分、写真は本来の色味が出ておりません)


下巻
第6折(濃・中・淡・白1・白2の内中 左項)
第6折中の3項目


解説及び使用字母へ









獅子唐草表面(繋丸紋獅子唐草)


元永古今集 薄赤茶(中) 具引唐紙 『獅子唐草』 拡大へ
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 下巻第6折 第3項 第二紙 薄赤色(中)具引唐紙表面 『獅子唐草』
古今和歌集巻第十四 恋歌四
下巻通しで第二十七紙表面、103項目
              かな
              使用字母        解釈(現代語訳)へ

   のをむなにかはりて

                業平朝臣

 かずかずに おもひおもはず とひかた

 み、みをしるあめは ふりぞまさらむ

   をむなのなりひらところさだ

   めずありきすと、おもひてよみ

   てつかはせりける  よみびとしらず





   乃遠無奈爾可波里天

                業平朝臣

 駕数々々爾 於无比於毛波数 止比可太

 美、身遠志留悪免者 不里曾末左良无

   越無奈乃奈利比良止己呂左太

   女寸安利支寸止、於无比天與美

   天川加八世利个留  與美比止之良須





             現代語訳
 
             解釈          解説及び使用字母へ 


 
の娘に代わって詠んだ歌

                   在原業平朝臣

711
「数々に思い思わず訪い難み、身を知る雨は降りぞ勝らむ」
色々な事が思い廻った儘で意外にも訪ねて行き辛かったので、私自身を知るこの涙雨は益々溢れ出るばかりですよ。

 業平家に仕える娘は所かまわず

 歩き回っているだろうと思って詠んで

 お遣わしになられた。

                   詠み人不明





色々な事に思いが廻ったままで、或る事は思ったり又或る事は思わなかったりして、意外にも訪ねて行き辛かったのです。行けなかった訳を知っている私自身の、この降り続く雨の様に涙は益々溢れ出るばかりですよ。)との意で、身分の違いやら本当は私の事をどう思っているのか等々、不安で心が定まらずに時間ばかりが過ぎて行くのを降る雨に喩えて詠んだ歌。

訪ひ難み;訪ねて行きがたいので。原因・理由を表す意の「…を…み」の間投助詞「を」が省かれた形で、動詞の連用形に付いてその困難な様を表す形容詞を作る「…難し」の語幹「…難」に「み」の付いたもの


まう  
参で来;参上する。伺う。「来」の謙譲語。平安時代以降は丁寧語としても使用し始める

みわづら
見煩ふ;見てどうしてよいのか困る。。

あそん
朝臣;五位以上の人の姓名に付ける敬称。三位以上の人には既に名が知れているので性の下に付けて名は記さず、四位には姓名の下に付ける。五位の者には姓と名との間にこれを記した。


 

あひし
相知る;互いに知る。交際する。男女が情を交わす。

ふぢはらのとしゆき
藤原敏行;平安初期の歌人で、三十六歌仙の一人。三十人撰にも登場するが知られている歌は全て合わせても28首と少ない。詳細は不詳であるが、古今集中には敏行朝臣と出ていることから、おそらく四位であったろうと推察される。生没年不詳。

ありはらのなりひら

在原業平;平安初期の歌人で、六歌仙、三十六歌仙の一人。阿保親王の第五皇子で、在五中将とも呼ばれた。兄の行平と共に826年に在原性を賜った。伊勢物語の主人公と混同され、伝説化されて容姿端麗、情熱的な和歌の名手で、二条后との密通や伊勢斎宮との密通などより、色好みの典型的な美男子とされ、能楽や歌舞伎或は浄瑠璃などの題材ともなった。紀有常の娘を妻とし、官位は蔵人頭、従四位に至る。紀貫之も古今和歌集序の中に「その心余りて言葉足らず」と評するなど情熱的歌人で有ったことを物語る。生年825年〜没年880年。

詠み人不明
712       
あまた
「大幣の引く手数多になりぬれば、思へど得こそ頼まざりけれ」
大祓の後の大幣が大勢の人々から引っ張られるように、貴方は多くの女性から引っ張りだこになったので、愛してはいるけれど到底頼みには出来ないことですよ。

「大幣と名にこそ立てれ流れても、遂に逢瀬はありてふ物を」


                                                                       ページトップ アイコン 

古今和歌集巻第十 物名歌 上巻 第18折 (第五紙表面右項)
元永古今集 上巻 第18折 具引唐紙(白雲母) 『丸唐草』 拡大  (戻る 一覧へ)    丸唐草表面(二重複丸紋唐草)


上巻
第18折(濃・中・淡・白1・白2の内白2 右項)
第18折中の10項目
右項=臨書用紙の右側半分。


解説及び使用字母へ









丸唐草表面(二重複丸紋唐草)
元永古今集 白具引(白雲母摺) 具引唐紙 『丸唐草』 拡大へ 
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 上巻第18折 第10項 第五紙白色具引唐紙表面 『丸唐草表面(二重複丸紋唐草)』
古今和歌集巻第十 物の名歌
上巻通しで第九十紙、欠損部分を含む350項目(現存の346項)
              かな
              使用字母        解釈(現代語訳)へ

 古今和歌集巻第十

  物名

    鶯          敏行
424
 こころから 花のしづくに そぼちつつ

 うぐひすとのみ とりのなくらむ


 古今和歌集巻第十

  物名

    鶯          敏行
424
 己々呂可羅 花乃之徒久爾 曾保知川々

 宇九飛数止乃見 止利乃奈久良无


             現代語訳
 

             解釈          解説及び使用字母へ
 

 古今和歌集巻第十
  
もののなうた
  物名歌

     鶯               藤原敏行


424

「心から花の雫にそぼちつつ、
うぐひすとのみ鳥の鳴くらむ」
心から花の雫に濡れながら、春だよとばかりに鳥が鳴いているよ。


物名歌;一首の中に物の名称を掛詞の様に詠み込んだ歌

424
(自分から進んで花から滴り落ちる露にぐっしょりと濡れながら、穴があるなら入って隠れたいとばかりに私の代わりに泣く様に鳥が鳴いているのだろうよ。)との意。
鶯は春が来たとばかりに鳴いているのでしょうが、恋に破れた私には遥か遠く花の涙に濡れて告げたことを後悔しておりますよ。

心から;自分の心が原因となって、自分から求めて。

 
ふぢはらのとしゆき
藤原敏行;平安時代初期の歌人で、三十六歌仙の一人。古今和歌集には19首が乗る。季節の風物を五感を使って感じ取り歌に表す、特定の動物と特定の植物の結びつきを歌に表し、そこからもたらされる季節感を万人の物とさへするような古今調なる歌の元を地で行く人。

うぐひす はるつげどり         はなみどり  はなよみどり にほひどり  ひとくどり  ももちどり
鶯;春告鳥。別名に春鳥・花見鳥・歌詠鳥・匂鳥・人来鳥・百千鳥などが有り、又その鳴き方から経読鳥とも呼ばれている。


穿ぐ;穴が開く。欠けて穴が出来る。(他の作用によってあけられた穴)

秘す;秘める。秘密にする。(人に見つからない様に隠れる。人に分からないように隠す。)


                                                                               ページトップ アイコン 

古今和歌集巻第十 物名歌 上巻 第19折 (第一紙裏面左項)
元永古今集 上巻 第19折 薄茶ぼかし(濃) 金銀大小切箔砂子 拡大  (戻る 一覧へ)    丸獅子唐草裏面
(金銀大小切箔砂子振)



上巻
第19折(濃・中・淡・白1・白2の内、濃の裏面)
第19折中の1項目(裏面料紙の左項)
左項=臨書用紙の左側半分。



解説及び使用字母へ









黄茶ぼかし(濃色)
丸獅子唐草裏面
元永古今集 染・渋黄茶ぼかし(濃) 『金銀大小切箔砂子振』 拡大へ
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 上巻第19折 第1項 第一紙裏面黄茶色ぼかし 『金銀大小切箔砂子振』
古今和歌集巻第十 物の名歌
上巻通しで第九十一紙、欠損部分を含む361項目(現存の357項)
              かな
              使用字母        解釈(現代語訳)へ

 はりゆく

    しをに          よみ人しらず

443
 ふりはへて いざふるさとの は

 なみむと、こしをにほひに うつ

 ろひにけり

  りうたうのはな
                 友則



 波利遊久

   志遠爾         與見人之良須

443
 不利波部弖 以左布留佐止乃 者

 奈美武止、己之遠仁本比爾 宇川

 呂比二計利

   理宇太有能者那
                 友則



             現代語訳
 

             解釈          解説及び使用字母へ
 

 
色変りゆく

     
し を に
     紫苑               詠み人不明

443

「振り延へていざ故郷の花見むと、来しを匂ひに移ろひにけり」
殊更に、さあ故郷の花を見ようとして、わざわざ来たのに美しい盛りには遅れてしまっていたのだなあ。

   
りうたうのはな
   竜胆花
                       紀友則


紫苑;西日本に自生するキク科の多年草。秋に茎の上部で分岐した薄紫色の優美な花を多数つける。

443
(殊更に、さあ故郷の桜の花を見てみようとして、わざわざやって来たのに美しい満開の時期は過ぎて終ったことだなあ。)との落胆の意。

振り延へ;殊更に…する。わざわざ…する。「振り延ふ」の連用形。

にけり;…てしまったことだ。何かに気づいて詠嘆する意を表す。完了の助動詞「ぬ」の連用形「に」に過去の助動詞「けり」が付いたもの。

 

参考
442 きちかうのはな(桔梗花) 
秋近う野は成りにけり白露の、置ける草場も色変はりゆく」                 紀友則
野原は秋が近こうなったという事だ、白露が降りている草場も色が変わっているようだ。
(野原では秋が近くなってしまったという事ですよ、白玉の様な露が降りている草原の緑の葉色も赤や黄色に変化しているようですからね。)との意。

きのとものり
紀友則;平安時代前期の歌人で、三十六歌仙の一人。宇多・醍醐両天皇に仕え、従兄弟の紀貫之らと共に古今和歌集撰者の一人であるが、集の完成を見ずに亡くなる。格調高い流麗な歌風で、古今集をはじめ勅撰集に64首入集。家集に友則集が有る。生年845年頃〜没年905年。

りうたうのはな;竜胆の花。リンドウ科の多年草山野に自生し、古くから観賞用としても栽培する。紫色の鐘型の花を開き、葉は小さくしたササの葉に似る。根は赤褐色で苦みが甚だしく、生薬の竜胆として煎じて健胃剤に使う。


                                                                              ページトップ アイコン
 


古今和歌集巻第十 物名歌 上巻 第19折 (第二紙表面右項)
元永古今集 上巻 第19折 淡黄茶(中) 具引唐紙 『丸獅子唐草』 拡大  (戻る 一覧へ)    丸獅子唐草表面
(獅子二重丸紋唐草)



上巻
第19折(濃・中・淡・白1・白2の内、中の表面)
第19折中の18項目(表面料紙の右項)
右項=臨書用紙の右側半分。

淡茶(濃)・淡黄茶(中)・淡黄土(淡)
比較的薄い色の中での濃・中・淡です

解説及び使用字母へ
茶字は前項にあり








淡黄茶(中)具引唐紙
丸獅子唐草表面(獅子二重丸紋唐草)
元永古今集 淡黄茶(中) 具引唐紙 『丸獅子唐草』 拡大へ
この部分の料紙へ

 上巻第19折 第18項 第二紙淡黄茶色具引唐紙表面 『丸獅子唐草表面』
古今和歌集巻第十 物の名歌
上巻通しで第九十二紙、欠損部分を含む378項目(現存の374項)
              かな
              使用字母        解釈(現代語訳)へ

    すみながし          滋春

470
 はる霞 

   ながしかよひぢ 

 なかりせば

   秋くるかりは 
      かへらざら
           まし


    
須美奈可之          滋春

470
 者流霞

   奈可之加與比知

 那可利勢波

   秋久留可利八
       加部良左良
             末之


             現代語訳
 

             解釈          解説及び使用字母へ
 


     墨流し               滋春


470

「春霞ながし通ひ路なかりせば、秋来る雁は帰らざまし」
春霞が立っている遥かな通い路が無かったならば、秋にやって来る雁は帰らなかったであろうに。



物名歌;一首の中に物の名称を掛詞の様に詠み込んだ歌

470
(春霞が流れる様に棚引いているよ、春になったんだなあ!もし遥かな長い通い路が無かったとしたならば、秋にやって来る雁は帰らなかったのでしょうに。)との意

ながし;「流し」と「長し」の掛詞。

 

ありわらのしげはる
在原滋春;平安時代前期の歌人で、在原業平の次男として、在次君とも云われていた。一説によると「大和物語」の作者であるとも伝えられている。生没年未詳。
やまとものがたり
大和物語;平安時代の物語であるが作者は不詳、951年頃の成立。173編の小説話からなっており、前半部分には伊勢物語の系統(後撰集時代の歌人の贈答歌を中心としたもの)をひいた歌物語から成り立っており、後半の約40編には歌に結び付いた伝説的な説話の集成となっている。その後幾度か増補されている。

                                                                     ページトップ アイコン 

古今和歌集巻第五 秋歌下 上巻 第11折 (第三紙表面右項)
元永古今集 上巻 第11折 薄赤茶(淡) 具引唐紙 『丸唐草』 拡大  (戻る 一覧へ)     丸唐草表面(二重複丸紋唐草)


上巻
第11折(濃・中・淡・白1・白2の内、淡の表面)
第11折中の6項目(表面料紙の右項)
右項=臨書用紙の右側半分。

薄赤茶(濃)・薄赤茶(中)・薄赤茶(淡)
比較的薄い色の中での濃・中・淡です

解説及び使用字母へ
茶字は前項にあり








薄赤茶(淡)具引唐紙
丸唐草表面(二重複丸紋唐草)
黄雲母摺

上巻第11折第三紙 清書用臨書用紙
元永古今集 薄赤茶(淡) 具引唐紙 『丸唐草』 拡大へ
この部分の料紙へ
 上巻第11折 第6項 第三紙薄赤茶淡色具引唐紙表面 『丸唐草表面(二重複丸紋唐草)』
古今和歌集巻第五 秋歌下
上巻通しで第五十三紙、欠損部分を含む206項目(現存の202項)
              かな
              使用字母         解釈(現代語訳)へ
281
 さほ山の ははそのもみぢ ちりぬべみ、よ

 るさへみよと 照す月かげ

   みやづかへひさしうつかうま
   つらで、山ざとにこもり侍り
   けるとき

                    藤原関雄
282
 おくやまの いはかげもみぢ ちりぬべ

 み、てるひのひかり みるよしなくて 


    題しらず           なら帝御製

 

281
 
左保山乃 者々曾乃毛美知 々利奴部美、與

 流左部美與止 照春月可个

   美也徒可部飛左之宇徒可宇万
   都良天、山左止仁古毛利侍利
   気留止幾

                    藤原関雄
282             

 於久也末能 以者可支毛美知 々利奴部
    

 美、々流比乃比可利 美留與之奈久天


    題之良須          奈良帝御製




               現代語訳  
 

            解釈            解説及び使用字母へ
 

281

「佐保山の柞紅葉散りぬべみ、夜さへ見よと照す月影」
佐保山のははその黄葉が今にも散って終いそうなので、夜ではあるが見て措きなさいよ!と照らしてくれる月明りなことですよ。


   宮中でのお仕えを暫く離れていて、
   山里に隠れ住んでおりました時
                           藤原関雄


282

奥山の岩陰紅葉散りぬべみ、照る陽の光見る由無くて」
山奥にある岩陰の紅葉は今にも散ってしまいそうですよ、太陽の光を目にする機会も無いままで。



べみ;…そうなので。…に違いないので。

281
佐保山のははその黄葉が今にも散って終いそうなので、普段は目にすることの無い夜中の紅葉狩りになりますけれども機会を逃さないよう夜でさへ見て措くべきですよと照らしてくれる月明りであることよ!。)との意

もみぢ;「紅葉」と「黄葉」があるが、柞は殆どが黄葉。

(人里離れた奥深い山の日の当たらない岩陰にある木の葉は今にも散ってしまいそうであることよ、艶やかに色付くはずの光り輝く太陽を浴びる手段も無くてね。)との意で、日の目を見ることの無い自身の境遇と重ね合わせて詠んだ歌。


 

さおやま
佐保山;奈良山の一部の奈良市の北西部にある山で、紅葉の名所。歌枕。

ははそのもみじ
柞紅葉;柞は楢や橡などの木の総称で、その色付いた葉のこと。黄色く色付く種類が多い。

ふぢはらのせきを                        もんじょうしょう
藤原関雄;平安時代初期の貴族で文人。若くして文章生に通り文章作成に通じるが都の賑わいを好まず、閑静な林泉を好んで東山の奥へ隠居した。淳和天皇に請われて近臣に迎えられ勘解由使に仕えるが、やはり煩雑さを嫌って転職を願い出ている。官位は従五位下(生年805年〜853年没)

ならのみかどのぎょせい  へいぜいてんのう
奈良帝御製;平城天皇のお作りになられた歌。

                                                                                 ページトップ アイコン 


古今和歌集巻第五 秋歌下 上巻 第11折 (第四紙表面左項)
元永古今集 上巻 第11折 白色 具引唐紙 『丸唐草』 拡大  (戻る 一覧へ)     丸唐草表面(二重複丸紋唐草)


上巻
第11折(濃・中・淡・白1・白2の内、白1の表面)
第11折中の7項目(表面料紙の左項)
左項=臨書用紙の左側半分。

薄赤茶(濃)・薄赤茶(中)・薄赤茶(淡)
比較的薄い色の中での濃・中・淡です

解説及び使用字母へ









白色具引唐紙
丸唐草表面(二重複丸紋唐草)


上巻第11折第三紙 清書用臨書用紙
元永古今集 白具引 具引唐紙 『丸唐草』 拡大へ 
この部分の料紙へ
 上巻第11折 第7項 第四紙白色具引唐紙表面 『丸唐草(二重複丸紋唐草)』
古今和歌集巻第五 秋歌下
上巻通しで第五十四紙、欠損部分を含む207項目(現存の203項)
              かな
              使用字母         解釈(現代語訳)へ
283
 たつたがは もみぢみだれて ながるめり、


 わたらばにしき なかやたえなむ


    題知らず           読人しらず

284
 たつたがは もみぢばながる かみなび

 の、みむろの山に しぐれふるらし 

    
こ の う た に し ゅ ならのみかどの おほみうた
    此歌二首奈良帝御歌

                     関雄

283
 太川多可波 毛見知三多禮天 奈可流女利、

 和堂良波二之紀 奈可也多衣南


    題不知           読人之良数

284 
 堂川多可波 毛美地波奈可留 加美奈比

 能、見無呂能山仁 之久礼不留良之


    此哥二首奈良帝御哥

                    関雄


               現代語訳  
 

            解釈            解説及び使用字母へ
 


283

「竜田川紅葉乱れて流るめり、渡らば錦中や絶えなむ」
竜田川では紅葉が乱れて流れているようだ、今渡ったとしたなら一面の錦織が途中で途切れてしまうだろうかねえ。


     お題不明               詠み人不明


284

竜田川紅葉葉流る神南備の、御室の山に時雨降るらし」
竜田川には紅葉の葉が流れているよ、神のおはします御室の山の辺りではどうやら時雨が降っているようだ。


    この歌二首は平城天皇のお作りになられた和歌である

                          藤原関雄


めり;…様に見える。…のようだ。目の前に事実について推量する意を表す。又は断定を避けて婉曲に言う意を表す。

283
竜田川では紅葉が一面に散り乱れて流れている様に見える、今この川を渡ったとしたなら、紅葉の織りなした美しいこの錦が途中で途切れてしまうのだろうねえ。)との意

なむ;…てしまうだろう。確述完了の助動詞「ぬ」の未然形「な」に推量の助動詞「む」の連体形。

284
(竜田川には紅葉の葉が流れて来ているよ、神の鎮座する処である御室の山の辺りではきっと時雨が降っているに違いない。)との意で、流れ来る紅葉を見て遠く三室山の方では時雨が紅葉を散らしたのだろう。と詠んだ歌。

らし;…に違いない。きっと…だろう。或る理由・根拠に基づき、確信を持って推定する意を表す助動詞。

 

たつたがは
竜田川;奈良県の北西部の生駒郡を流れる川で、生駒谷の北部に端を発し斑鳩町を西から南に南下しての南部で大和川に注ぎ、上流域は生駒川と呼ぶ16Km程の流れの短い川。紅葉の名所。歌枕。

みむろやま
三室山;奈良県生駒郡斑鳩町竜田にある神南備山で、山麓を竜田川が流れる。古くから紅葉・時雨の名所。御室山とも。

しぐれ

時雨;秋の終わりから冬の中頃まで、断続的に降る冷たい雨。さあーと降ってさあーと上がり晴れ間が覗いたかと思うと又降り始めると云った具合で、山から山へど夕立の様に移動しながら降り続く気まぐれな通り雨を言う。原義は「過ぐる雨」で「通り雨」の意。和歌ではよく涙に喩えて詠まれる。

ならのみかどのおほみうた
奈良帝御歌;平城天皇のお作りになられた和歌。

ふぢはらのせきを                        もんじょうしょう
藤原関雄;平安時代初期の貴族で文人。若くして文章生に通り文章作成に通じるが都の賑わいを好まず、閑静な林泉を好んで東山の奥へ隠居した。淳和天皇に請われて近臣に迎えられ勘解由使に仕えるが、やはり煩雑さを嫌って転職を願い出ている。官位は従五位下(生年805年〜853年没)


                                                                                 ページトップ アイコン 
                                                                 
唐紙文様名中の≪ ≫内の呼名は小松茂美先生の著書での呼称です。






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