『安宅切』 和漢朗詠集 巻子本 第二紙
巻子本用一紙(8寸1分×8寸8分5厘)
鳥の子製 装飾料紙 純金銀泥下絵 金銀大小切箔ノゲ砂子 (暈し・雲紙その他)
和漢朗詠集の書写本で藤原行成筆と伝えられている安宅切の第二紙になります。書写用の料紙としては西本願寺本三十六人集にに並ぶほどの美しい装飾が施された料紙になります。実物の安宅切は一紙、横約八寸前後・縦約八寸八分五厘の大色紙大の料紙で元は巻子本です。隣同士の料紙にまたがって下絵が施されており、料紙を繋いだ状態で泥書が施されたものと推察できます。安宅切には金銀切箔砂子が施されておりますが、本料紙では金銀切箔は施しておりません。(書き易さと価格面を優先した為でありその点ご了承ください。勿論中小切箔を施したタイプの物も御座います。)今回の写真は約三十年程前に製作された物で純金銀泥を使用している為、一部に銀焼け部分が御座いますがご了承下さい。臨書用紙はもちろん通常の清書用料紙としてもご利用いただけます。
写真をクリックすると別色が御覧に為れます。
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巻子本『安宅切』です。使用されている装飾料紙は巻子用大色紙で、染紙や雲紙に隈ぼかし更に純金銀泥で州浜と菅千鳥などが描かれ、金銀大小切箔ノゲが散らされております。本清書用では切箔を除いて書き易さ、書の見易さを優先しております。勿論、金銀切箔ノゲを振ったタイプの物も御座います。 |
安宅切紙
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第十二紙(明灰色) | 第十一紙(栗梅色) | 第十紙・雲紙(水灰色) | 第二紙・明灰色 | 第一紙・薄香色 |
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659 梁元昔遊、春王之月漸落。周穆新 會西母之雲欲レ帰。菅三品 660 布レ政之庭、風流未三必敵二於崑閬一兼レ之□此 地也。好レ文之世、徳化未三必光二到于黄炎一、 兼レ之者我君也。巻泉院序 菅三品 661 榮啓期之歌二三楽一、未レ到二常楽之門一。皇甫 謐之述二百王一、猶暗二法王之道一。江 662 玉扆日臨文鳳見、紅旗風巻書龍揚。 朝拝 師 663 刑鞭蒲朽蛍空去、諫鼓苔深鳥 不レ驚。國風粧 |
黄文字は欠落部分 659 梁元の昔の遊び、春王の月漸くに落ちぬ。 しゅうぼく 周穆の新たなる会、西母が雲の帰んなんとす。 (菅原文時) しゅうぼく 周穆;周の穆王。 660 まつりごと し こんろう ひと 政を布く庭、風流未だ必ずしも崑閬に敵しからず これを兼ねたる者はこの地なり。 文を好みたもう世、徳化未だ必ずしも黄炎を て 光らさず、これを兼ねたまえるは我が君なり。 (菅原文時) □は「者」の脱落か 661 榮啓期が三楽を歌ひし、未だ常楽の門に至らず 皇甫謐が百王を述べたる、猶法王の道には 暗かりき。 (大江朝綱) 662 ぎょくい 玉扆日臨んで文鳳見ゆる、 がりょう 紅旗風巻いて画龍揚る。朝拝(藤原伊周) 鳳;古来中国で尊ばれた想像上の瑞鳥。 法王の雄。 663 けいべん 刑鞭蒲朽ちて蛍空しく去んぬ、 諫鼓苔深うして鳥驚かず。 (小野国風) かんこ 諫鼓;昔の中国で君主に対して 諫言しようとする人民に打ち鳴らさせる為に、 官庁に設けた太鼓。 黄文字は欠落部分 |
659 梁元の昔の遊び、春王の月が漸く沈んだ。 周の穆王の新しい集会、西王母が雲の中に帰って行こうとしているよ。 660 治世の為の政治を司る庭では、聖人が後世に伝え残した良い流儀も未だ必ずしも崑崙と同じではなく、 これを兼ねたる者はこの地である。文化を好み給う世の中、徳に感化され善に移る事、未だ必ずしも黄炎を 照らしてはいない、これを兼ね備えているのは我が君子である。 661 榮啓期が三楽を歌うながらも、未だ常楽の門に辿り着かない。 皇甫謐が代々の王を(如何なるかを)述べたるも、なお法王の道には程遠いようだ。 662 宝物の様な珠の衝立を日がな眺めては鳳を見ている、 紅の旗が風を巻いて絵に描いた竜が空高く昇る。(画竜点睛を念じての歌) 663 刑罰用の鞭は蒲も朽ちてしまい蛍(希望の光)は空しく飛び去ってしまった。 諫言用の太鼓も苔深くなっていて打ち鳴らしても鳥も驚かないほどだ。(都は随分と寂れてしまったようだ) |
梁;戦国時代魏の恵王が都を 大梁に移してから後の国号。 西母;西王母。中国に古く信仰された女仙。 漢の武帝が長生きを願っていた際、 天上から舞い降りて仙桃七顆を与えたと云う。 民間信仰でも不老不死の女神として 今日に至るまで尊崇を集めている。仙女。 こんろう 崑閬;古代中国で西方にある想像上の高山。 崑崙閬。西王母が棲むに程よい山間の意か。 書経の萬貢、爾雅・山海経等に見る。 ぎょくい 玉扆;お宝の衝立。 |
安宅切 第二紙 左上側部分拡大 左端に見える薄香色の部分は 第三紙です。 金銀泥下絵は両紙またがって 描かれておりませんので この間には欠損が有ります。 |
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左上側部分拡大 安宅切 第二紙 | |
安宅切 第二紙 右下側部分拡大 右端に見える薄香色の部分は第一紙です。 金泥下絵は両紙またがっている様に 描かれておりますが、 よく見ると幅がずれております。 この間にも欠落が存在することが分かります。 |
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右下側部分拡大 安宅切 第二紙 |
すがわらのふみとき みなもとのためのり・おおえのくにえ
菅原文時;平安時代中期の貴族で、文章博士としての学者もある。道真が右大臣になった年に生まれたその孫であり、一家の学門である文章道で名を成して、源為憲・大江国衛らの文人も文時の添削を請うたほどの人。従三位。又の名を菅三品とも。(生年899年~没年981年)
おおえのあさつな みんぶたいほ おとんど
大江朝綱;平安時代中期の貴族であり、学者。中国古典に精通し、村上天皇の勅命により「新国史」を撰進する。民部大輔・文章博士左大弁などを歴任し、参議に昇る。祖父音人の江相公に対して後江相公と称する。著書に「後江相公集」。(生年886~没年957)
こうほひつ
皇甫謐;中国は西晋の学者。字は士安。色々な学者の書に通じ、著述に努めて自らを玄晏先生と号した。著書に「帝王世紀」「高士伝」「列女伝」「玄晏春秋」などなど。(生年215年~没年282年)
ふじわらのこれちか だざいのごんのそち
藤原伊周;平安時代中期の貴族で、関白道隆の次男。994年に内大臣となるも叔父の藤原道長に関白を越えられ、花山法皇に対して不敬の事が有って、996年に太宰権帥に左遷された。暫く経った翌年には本位に戻された。後には儀同三司とも称された。(生年974年~没年1010年)
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